210216


「ハンドクリーム塗ったのに、お手拭きで手拭いてましたね」という台詞(ニュアンス)で、思わず泣いてしまった。坂元裕二の脚本だ、と心で感じたから。

『花束みたいな恋をした』は、ある恋人たちの5年間を描いた映画で、SNSには「自分のことかと思った」「恋をしたことがある人は分かる」という感想が溢れていた。わたしも観に行った。誰かと付き合ったこと、ないけど。恋も、したことないけど。


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わたしが大抵の作品にのめり込めるのは、いつの間にかのうちに主人公たちになりきってしまうからで、今回もきっちりそれだった。勿論すべては分からないし、”全く同じ気持ちになれている”なんて思ったことはないけれど、大体、分かる。

別れ話をするはずなのに「結婚しよう」が口から出ちゃう麦くんの気持ちも、もう終わりだからと何度も軌道修正を試みる絹ちゃんの気持ちも。

でも、ふたりの言葉を、相手の顔が映った状態で聞くと ”ちがうんだよね、あなたは違うんだね”と第三者目線に移行しているわたしがつぶやく。
煩いくらい、大きな声でつぶやく。




若いときの自分たちを見ているような二人組がファミレスにやってきたとき、終わらせないことはできるけど、でももう、はじまれないんだと思った。

色が、温度が、湿度が、まったく違った。ドレッシーな服を着ているのに、大人になった二人の方がくすんで見えた。野暮ったい服を着ている、会うのが2回目の二人は、分からないくらいキラキラしていた。


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はじまれなかったけど、でも、最後まで変わらなかったことがある。


「絹ちゃん」「麦くん」


恋人になってからの、ふたりのお互いの呼び方だ。
付き合ったら呼び捨てになって、喧嘩するときはそれがちょっと怖く聞こえる。なんてことが、いままでの恋愛作品には多かった気がする。あくまで、気がするだけなんだけど。


だからわたしは、それに救われた。
そこだけは、二人ともずっと変わらず、「絹ちゃん」と「麦くん」だった。

年月が過ぎて、変わったことや反対になったことばかり目に付いたけど、それでも心の気付かないくらいの奥底には、麦くんにとっては「八谷さん」から「絹ちゃん」になった絹ちゃんがいて、絹ちゃんにとっては「山音さん」から「麦くん」になった麦くんがずっと居たんだとおもう。

二人の中に無意識にずっと居たのか、二人が意識的に居させたのかはどうでもよくて、いてほしくて居させたい存在があったことが、そういうのが大切なんじゃないかと思う。
だからすれ違ったし別れちゃったけど、楽しかったしありがとうって伝えたくなるんだと思う。


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最初にもネタバレ的に書いたけど、わたしがこの映画の中で”好きだなあ”と思った台詞はたくさんある。記憶力があまりない人間だから、多くは覚えてないのがつらい。たくさんあったのに。悔しい。映画を観ながら、”まって、そこもう一度観させて”と思うシーンもたくさんあった。


麦くんが、絹ちゃんのお父さんに「ワンオク聴く?」って聞かれて「聴けます」って返したところは、覚えているくらい印象的。
積極的には”聴かない”けど、”聴けない”わけでもない。そういう、「聴けます」。


坂元裕二脚本の作品を観ていると、”わたし、こういう言葉遣いになりたいんだ”とひしひし感じる。
何も吸収しないそのままのわたしだったら、きっと言えないし、書けない。現状維持にもみたない。



そういえば、麦くんが「絹ちゃんとの現状維持」が夢、みたいなことを言ってたなあ。数年後、絹ちゃんに「また下げるの?」(レベルだったか、水準だったか、そういう感じのこと)って言われて、ウッ・・てしてた。

映画を観ているときのわたしは、麦くんの言葉を聞いて『現状維持では後退するばかりである』という名言を思い出し、”エッ、高みは目指さないんですね?”と思ったりした。

高いところは目指さないはずだったのに、遊ぶためのお金を稼ぐ”仕事”という手段にチカラを入れていく麦くんを見て、言ってることと あとやり方が違うんじゃ?と思ったりもした。


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最初と最後は2021年で、別れたあとの麦くんと絹ちゃんがバッタリ会ってしまうシーンだった。

私的には”そんなもんなのか、”と呆気なくて、二人ともそれぞれしあわせそうで、ちょっと不思議だった。


別れてからも3ヶ月は一緒に住んでて、その後ひとつも連絡取ってないの?ほんとうに?その距離感で?

バロンをどちらが引き取るかでじゃんけんをして、少しの間は同じご飯を食べたりもして?

ストリートビューに昔の自分たちが映っている奇跡をみたのも、麦くん、連絡しなかったの?


5年間を共に過ごした二人がいなかったみたいだった。
そこに執着したらまた一緒になるしかないけど、でも一緒にはいられないから、という空気がずっとあった。
だから、”大人になった自分たち”を演出して、「あんなこともあった」と押し潰してるように見えた。
「楽しかった思い出だけ、しまっておいて」という言葉のなかに含まれていた気持ちが、ぜんぶなくなったみたいだった。


いまこうやって書いたのは、ぜんぶ”わたし”の気持ちで、二人の気持ちじゃない。この映画をつくったひとたちの気持ちでもない。どこかで生きてる麦くんと絹ちゃんの気持ちは、ひとつも分からない。
だけど、”これまでの二人”を2時間近くも見せられたら、そりゃあその時間の二人が大好きになっちゃうよね、になるのがわたし。

それが、そういうのが寂しくて、ああまだまだこどもなのかな、って考える。



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